妻・母・社会人─「肩書き」がなくても自分でいるために

「受験(進学)・就職」を経て、「妻」や「母」、あるいは「キャリア」といった社会的肩書きを背負うのが、現代の女性には普通なのかもしれませんね。

社会的肩書きがあるうちは、自分と向き合うことがなくても進めるし、向き合いたくても向き合いにくい。

ところが、子育てが落ち着いたり、ふとした瞬間に、「自分」という存在が消えてしまったような虚無感に襲われる──「自分迷子」。

「自分迷子」とは、自分の本音や価値観、進むべき方向性が見えなくなり、「自分がどうしたいのか」「自分は何者なのか」が分からなくなってしまった状態です。

今回は、私自身の経験も踏まえて、自分迷子になってしまう原因やどうしていったらいいのかを考えてみたいと思います。

なぜ自分迷子になってしまうのか

自分迷子は、仕事やプライベートで大きな変化があった時や、周囲の期待に応えようと頑張りすぎてしまった時に起こりやすい現象です。

今まで通用していた「がんばる理由」がなくなった瞬間とも言えます。

「評価」というガソリンが切れた


仕事での昇進や数字、子育てでの「入学・卒業」といった明確な節目。

こういう外側からもらえる評価や変化は、自分を動かす原動力になります。

役割が一段落すると、外側から動く理由を与えられることがなくなります。

そのとき、自力でどう進めばいいのかわからなくなります。

それだけ長く「誰かの期待」に応え続けてきた証拠とも言えます。

「自分」を後回しにするクセ

家族や会社のニーズを優先し、自分の感情に蓋をして役割を全うしてきた結果、「自分はどうしたいか」という感覚が鈍くなっている…

これは、無自覚で起きています。

子育てを例に取れば。

子どもが生まれる前まではお風呂上がりのパックや週末のマッサージで、自分のセルフケアはばっちり♡

…だったとしても、子どもが生まれてからはそうはいきません。

お風呂上がりのに自分の肌がカサカサになろうが、身体が冷えようが、第一優先は「子ども」。

お金も、時間も、心の向け先も、生活の全てが「子ども優先」になるのは自然です。

でも、いざ自由な時間ができても、自分の「好き」や「やりたい」を感じ取るセンサーが鈍りすぎて動かない…

心当たりはありますか?

「何者かであらねば」という焦り


特にキャリアを積んできた人ほど、「生産的でない自分には価値がない」という思い込みに苦しむことがあります。

かつての有能だった自分と比較してしまい、何もしない時間に耐えられず、焦って空回りしてしまう悪循環に陥りやすいものです。

40代から50代からは特に、体調の変化や家族環境の激変など、抗えない「喪失」を経験する時期でもあります。

「私の人生、このまま誰かの脇役で終わるのか?」という問いが突きつけられ、足元が揺らぐこともまた、自然なことだと思います。

じゃぁそこからどうするのか?大きく分けたら選択は2つだと思います。

① 自分と向き合って自分を取り戻す道
② 自分のことは見て見ぬふりをしてやり過ごす道

どっちが正解もなく、どう生きたら自分が納得するのかが大切だと思います。

自分と向き合うことは時につらい時があります。

あえてその道に入らなくても、日々に小さな感謝や幸せ・喜びがあれば、十分、人生の成功者と言えるのかもしれません。

自分と向き合っていきたいと思う時は

喪失感や停滞感が生まれたというのは、これまであった”自分の土台”を変えていくための「移行期間」です。

この期間に最も大切になることは、自分の感性や感覚を取り戻すこと。

役割に徹してきたことで後回しになってしまったそれらを取り戻すことで、「自分とは」が見えてくるものです。

自分という人間は、何に心を躍らすの?

何を「好き」と感じるの?「いやだ」と思うの?

その感覚が社会の常識と違っても、もういいんです。

社会が求める役割のイメージに合わせた自分ではなく、「本当の自分はこう思う・こう感じる」

それを「自分だけは」知っておくこと。

これがスタートであり、ゴールでもあります。

一人で難しいときは

完全に感受性のセンサーが固まっているときは、安心できる人や場で交流し、自分以外のエネルギーを借りて、自分の内側を揺り動かすのも一つです。

その時も「本当に自分が心から惹かれる人や場所」を選びたいところです。

「有名人だから」「人気のある人だから」と言った数値や見た目で判断したり、「~すべきだから」と自分に何かを課すのは、「頭の計算」。

自分の答えは自分の中にしかないから、どこまでも「自分の感覚」を開くところから。

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